関係性の妙

 

 

 私が今一番遊んでいるゲームは間違いなくFGOだ。サービスが開始されて然程日数の経っていない頃に始めたので、2年程続けている事になる。これは私にとってはかなりの快挙だ。

 そして私が今一番アツく推しているのが藤丸立香♀とBBの組み合わせになる。でも掛け算ではない。藤丸立香はメルトリリスと付き合っているしBBはこの世で岸波白野以外の人間を愛する訳がない(ここで言う愛とは深海電脳楽土のBB/GOの言葉を借りるなら「もっと個人的な❝愛❞」だ。それ以外の愛については後述する)と固く信仰している。また、この文章における藤丸立香とはFGOの女プレイヤーを指し、岸波白野はExtra及びCCCのプレイヤー(こちらは男女問わない)を指すとする。

 つまり、私が好きなのは、ぐだメル前提のぐだとびび(→岸波)である。

 どうしてこんなややこしい関係性を好きになったのだろう。判らない。

 

 そしてこういう事も作品という形で出せよと思うのだが、自分の考えを整理する為にも書いておこうと思った為に、こうして文章化している。

 藤丸立香とBBが抱えるそれぞれへの関係性とはなんなのか、書こうとしている。

 

  私は藤丸立香が好きだ。FGOの特質上、色んなサーヴァントが彼女の下に集まるし、そしてここがFGOの良いところでもあり様々な火種になる元凶だが、色んなサーヴァントが藤丸立香に好意的な態度を示してくれる。私の意見としては、藤丸立香を「プレイヤー=ゲーム外にいる我々」ではなく、「その世界に生きているキャラクタ」とみなす場合、彼女はそうされても良いだけの義務を果たしていると思う。彼女は何度も何度も命を危険に晒しながら戦い、様々なサーヴァントひとりひとりと向き合おうとしている。指先ひとつでポチポチ叩いて戦って、駄目だったらリトライできて、人生の余暇にログインボーナスをもらっている我々プレイヤーではない、とするならだ。彼女はリトライできない戦いの中で結果を出し続けている。そして、FGOの世界ではサーヴァント同士は最初から戦うべき宿命にあるのではなく、世界を救うという一つの目的に向かって大なり小なり賛同している面々が召喚に成功されているのだから、ある程度は藤丸立香を認めてくれていると考えてもよさそうである。

 藤丸立香は彼女にできる範囲でできる事全てに尽くしている。それは最善でもなく最良でもない事が多いけれど、それでも彼女は結果として未来を救っている。この功績は認められるべきではないだろうか。

 

 さて、そんな藤丸立香のいるカルデアにやってきたBBは少々特殊な立ち位置である。深海電脳楽土のストーリーを見る限り、彼女はひとりで勝手にやってきているし、彼女なりに人類に貢献する気はあるらしい。どうしてだろうか。彼女の存在そのものに、元はと言えば人間を保全する機能があった為であろうか。それもあるだろう。

 ここで思い出したいのが、深海電脳楽土、「いつか、電子の海で会いましょう」でBB/GOの言った、「貴女がそうやって、❝人類の協力者❞でいようと努力する事は笑いません。」という台詞である。

 BB/GOはBB曰く「キアラからサルベージされた時に、獣の性に汚染され」た存在だった。故に人間じみた価値基準を持ち、BBに倒される事になる。しかし私が思うに、BBもまたムーンセルの浄化を受けたのではないだろうか。というのも、FGOにおけるBBはCCCにおけるBBのコピーでしかない。プロフィールにもあるように「BBというバグの再現」である。つまり、BB(FGO)とBB(CCC)は同じ存在のようでありながら、一度の断絶を経て、そっくりそのまま同じように、しかしそれでいて「新たに」作られた存在と言える。

 BB(CCC)とBB(FGO)はプロフィールにもやや相違点がある。BB(CCC)は好きなものに「先輩」、苦手なものに「先輩以外の全て」を挙げている。BB(FGO)では好きなものは「先輩/センパイ」、嫌いなものは「人間」と言っている。苦手なものと嫌いなものとのニュアンスの違いは勿論あるものの、BB(FGO)がBB(CCC)と地続きの存在でありながら、やや違った色を持つ個体である事のように思われる。

 

 ここまでを前提として、私が触れたいのは深海電脳楽土のBB/GOがBB(FGO)に言ったある台詞だ。

「ま、貴女もそのうち同じオチになると思いますけど? せいぜい悩んだり足掻いたりするといいです。貴女が新しい愛を獲得しちゃった、その時にね。」

 BB(FGO)が獲得する「新しい愛」とはなんなのか。

 これは私にとって非常に難しい問題であって、これを見た当初は岸波白野を愛する事ただそれだけの為に何もかもを天秤の片側に乗せていったBBがそんなものを得てどうするんだとも思っていた。そして現在、私は2通りの意味があるのではないか、と思っている。

 ひとつめは、BBからの愛ではなく、BBが受け取るべき新しい愛である。そしてそれは藤丸立香によってもたらされるものである。そしてそれは情愛ではなく、フィリアとしての愛である。あるいはストルゲとしての愛でも良い。フィリアは友愛、友情と訳される言葉だ。BBにはサクラファイブという【子】にあたると言って良い(実際パッションリップは「お母様」と呼んでいる)存在があり、かつて愛した、そして今でも愛する岸波白野という存在がある。しかし友はいない。遊ぶべきオモチャとしての人類はおり、カルデアの中で共に戦う事になるサーヴァントはいる。しかしそこにも友の姿は見つけられない。岸波白野と同じような諦めの悪さを持つ、しかし全く別の魂を持つ藤丸立香は、もしかしたら彼女の友達になれるかもしれない。個人的な愛の為に世界を滅ぼせる彼女は、生きる為に世界を救える藤丸立香となら友達になっても良いと思えるかもしれない。私にはそんな祈りがある。

 ふたつめとしては、BBが人類に、そしてその代表としての藤丸立香に与えるアガペーとしての愛である。神が人間を無条件に赦す愛である。しかしこれはかつてのBB、つまりBB(CCC)では持ち得ない愛である。何故なら彼女には岸波白野がいるからだ。しかし、FGOの世界にはいない。深海電脳楽土の台詞を引用しても、「その相手もここにはいない。かつての私は、手放す事でその愛を守ったから。」とある為、FGO世界に岸波白野は存在しないか、存在してもBBとはどうあっても出逢う事のできない運命となっていると考えられる。そしてプロフィールにもあるように、BB(FGO)にとってCCC事件は体感的には数万年も前である。BBが岸波白野を忘れる事は決してないし、AIである彼女に一度芽生えた愛情が時と共に薄れ消えゆく事もない。だからそこにあるのは整理である。岸波白野を愛した事を過去とし、愛する今を肯定し、岸波白野以外の人類にとっての「❝協力者❞でいようと努力する」BBが、FGO世界のBBなのではないだろうか。

 

「どうか、わたしがずっとオモチャにしたいと思うぐらい、楽しい人たちであってください。明るく、楽しく、元気よく! 隣人と衝突しながら、隣人と笑い合う! そんな皆さんの在り方を全力で応援する! それがわたし、スーパーAI・BBちゃんなのですから!」

 深海電脳楽土のストーリーはこの台詞を以て締め括られている。人類が人類と衝突する事を否定せず、されど笑い合う事ができると疑わない。人類をただ見守り、そして人類を救った代表者である藤丸立香のサーヴァントとなって戦う事を良しとする。

 BBと藤丸立香の関係性の落としどころは、ここにあるのではないか、と私は思っている。藤丸立香にとってはバレンタインチョコで容赦なくBAD ENDを寄越してくるむちゃくちゃな友人であり、BBにとっては見守るに値する可愛いヒトの子である。

 それはたぶん、カップリングではない。でも関係性だ。ああ関係性。

 

 ここまで書いてやっぱり作品で示すべきだと思ったので、これから同人誌で出す本を頑張ろうと思った。

 ちなみにこれまでもそれなりに頑張って関係性を書いてるので良かったら見てね。

 無料で見れるtogetterのまとめ→

togetter.com

 DL販売だけど本もあるよ→

www.melonbooks.co.jp

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 5月3日のスパコミに受かってたら「残喘の歌」の続きの「残余の生」が出るよ。

 良かったら買ってね。

 

 それではまた。

 

2018.08.22 追記

 形になりました。これで答えが出せました。

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