「零 ~濡鴉ノ巫女~」を知ってくれ

 今日の記事は火力強めな事は断っておこう。

 あなたは零シリーズをご存じだろうか。ジャパニーズホラーを真っ当にやりつつ女と女の関係性に注力し過ぎなホラーゲームの事だ。詳しくはwikiとか読んで欲しい。

 →零 (ゲーム) - Wikipedia

 

 ホラゲーなのがいけないのか、ふわっとしたキャラ設定がいけないのか、(比較的)狭い百合界隈においても然程認知度は高くないゲームだ。勿体ない。女と女の関係性だぞこのゲームは。本当に凄いんだぞ。本当に凄いんだ。だから今日はその中でも「零 ~濡鴉ノ巫女~」の話をしようと思う。

 

 

 零シリーズは色々と出ているが、部分的に登場人物や話が繋がっているのは5作となっており、zero→赤い蝶→刺青ノ聲→月蝕の仮面→濡鴉ノ巫女となっている。特にzeroの主人公である雛咲深紅がよもや子供を産んでおりしかも子供をほったらかしにして失踪していたという衝撃の展開に度肝を抜かれた濡鴉は記憶に新しいというか最新作がそれである。もう結構前だけど。ていうかほんま深羽かわいそうやんけ近親相姦で産まれてるしおとうちゃん幽霊やしおかあちゃん失踪してもう死んでる(たぶん)やし……なんやねんこの子どうやってこれから強く生きていくねん……。6作目で深羽が幸せになって欲しいなと思う。零シリーズで一番幸せになって欲しいキャラかもしれない雛咲深羽。

 

 濡鴉はとにかく人間関係が大変である。主人公は不来方夕莉、人間が向いていない上に生きるのが向いていないのでいつも悩んでいる。希死念慮の塊のような女なのに言いたい事は割とはっきり言うし意思がない訳でもなく死にたがってる癖に芯が強い矛盾だらけの謎の女である。不来方夕莉は家族が事故で亡くなっており、それ以来死者の霊ががっつり見えるようになって苦しんでいる。ただ、どちらかと言えばそれ以前から「自分はあっち(=あの世)が向いてる気がする」くらいの気軽さで厭世を強めていた節があるので、たぶん生まれながらに生きるのが向いてないだけで、家族の死によってそれがより顕在化しただけではないかと私は思っている。

 ともすれば「雨降ってるから傘差すか」くらいのノリで現世からオサラバしそうな不来方夕莉を寸でのところで現世に押し留めているのが黒澤密花である。なんかやたら美人。身よりのない上に未成年でありふらっと死にそうな不来方夕莉を保護している。しかしこの密花も不来方夕莉を理解できているとは言い難く、密花はかつて救おうとして救えず目の前で自殺してしまった少女が、何故自殺という道を選んでしまったのか悩みながら不来方夕莉と接している。明らかに人間と乖離した世界に身を置いて生きている不来方夕莉を、ギリギリ人間としての距離を保って生かしておけるのが唯一この密花だけだ。

 不来方夕莉はあまりにも死に近過ぎる故に誰も理解できず誰からも理解されず、ただただ生きるのが向いていないので生きているのがしんどいと思い続けている。死にたいという積極的なものではない。彼女は「生きる」というその行為に対し、常人の何百倍ものエネルギーを使ってしまうので、常に得体のしれない疲れに襲われているようなものだと思ってもらって良い。とにかく何度も言うが生きるのに向いていないのだ。向き不向きの問題でしかない。呼吸するのが向いていないのである。

 大体、いつでもふらっと死にそうな程に希死念慮に取り憑かれているのに趣味がマウンテンバイクと言うのだから恐れ入る。思いっきりアウトドア派ではないか。履いている靴もトレッキングシューズのようだし、自殺の名所であり一度入ったら戻れないと言われている山に少なくとも3往復はしていた。4往復だったかもしれない。そして不思議な事に、不来方夕莉がそんなにも山に入りまくったのは、自分の為ではない。深羽は自身の確固たる理由を以て自殺の名所、日上山に辿り着いているが、不来方夕莉はことごとく「誰かを心配して」「連れ戻す為に」入山している。死に近しい女でありながら、他者の死に鋭敏かつ、それを退けようと何度も射影機片手に徒歩で山に登る。必要とあらば使われていないロープウェイもガンガン動かす。健康児か。

 このように不来方夕莉は生きるのに向いていないのだが死ぬのに向いている訳でもなく、どっちつかずでアンバランスな性格をそのままにあっちへ行ってこっちへ行きながら幽霊の死の瞬間を覗いて鬱になったり自身の身の上を思って鬱になったりしている。作中、深羽とはあまり仲良くならない(これからなるって信じてる)し、密花も大切な存在であるには間違いがないが不来方夕莉の圧倒的な死への近さを理解するには至っていない。結局密花は生きている人間であり、生きるのが向いている人間なのだ。生きているのが向いているから、生きているのが向いていない人間の生きにくさは推して測るしかなく、そしてその推して測る行為はどうしても、あまりにも死を直視せねばならず、生きている人間には苦しいものだ。密花は自分からその苦しみと向き合っている。それが贖罪から来るものだとしても、立派だ。

 そんな不来方夕莉に、「私はあなたの苦しみが判る」と断言できる存在がいる。それがラスボス、つまりホラゲーである零における最恐の怨霊となる黒澤逢世である。逢世もまた人の死が見える。死者の思いを、無数の他者の死の苦しみを抱いて、永遠に死に続ける怨霊である。この人が一番救われない。もう死んでいるのに、死者の苦しみを抱いて死に続けなければならないのだ。そしてそれに終わりはない。ひとりでやらなければならない。それに耐えきれず、共に死に続けてくれる人物を求め、日上山に不来方夕莉を引き摺り込む事となる。

 死が見え、死に続ける運命の逢世は、不来方夕莉の痛みがよく判る。それは実感を持った理解なのだ。だから逢世は不来方夕莉に「一緒に堕ちましょう」と言う。不来方夕莉の理解者が黒澤逢世であるのなら、黒澤逢世の理解者もまた不来方夕莉に他ならない。逢世はひとりで死に続ける事に耐えられない。だから適性があると思われた不来方夕莉を連れて行く事にしたのだ。

 しかし、ボス戦の後、不来方夕莉は逢世を抱き締めて涙する。作中一度も笑わず、苦しむ表情こそあれ悲しむ表情はほとんど見せなかった、家族が死んだ時さえ泣かなかった不来方夕莉が声をあげて泣く。不来方夕莉はその力故に逢世の過去を見、そして共感に泣いた。逢世は本来、ひとりで死ぬべきではなかったのだ。それを無理にひとりで抱えて儀式に挑んだが故に失敗し、怨霊となってしまった。そして不来方夕莉を求めたが、彼女の涙によって逢世は彼女を連れて行かない決意をする。ひとりで死に続ける決意をだ。

「あなたが私を看取ってくれた」「あなたに最後の感情を託せた」

「あなたにあえてよかった」

 逢世はそう言って全ての厄をひとり引き受けて黄泉に還っていく。そうして不来方夕莉は現実へ帰る。

 

 関係性!!!!!!!!!!

 

 共に死に続けてくれる相手を探していた逢世が、ただ看取ってもらえた事に満足してひとりで死に続ける事を決意する。死者である黒澤逢世が、生者である不来方夕莉の死を否定する。生きるのにどんなにか向いていない不来方夕莉に、「それでもあなたはこっちではないのだ」と言える、唯一の人。それが黒澤逢世だった。逢世は死者であり、死に続けた人であり、同じ死を見る力を持つ者だったからこそ、その上で不来方夕莉に「死んでは駄目」と言えたのだ。生者では言えない。生きていては不来方夕莉に響かない。死者である逢世が死を否定するからこそ、逆説的に不来方夕莉の生は祝福される。そうしてラスト、生者の象徴である密花に名を呼ばれ、振り返って笑うのだ。作中ただ一度きりの、とびきりとは到底言えない、不器用で微妙で、けれど確かな微笑みを。

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 関係性!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 ちょっとは不来方夕莉に興味を持ってもらえただろうか。零シリーズ、あまりにも周囲に知っている人がいないので長年秘めた感情があり(月蝕の仮面も大好きだ。刺青ノ聲のラスボス零華も本当に大好き)、語ったら削っても削ってもこの文の量になった。深羽の話を全部はしょったのにだ。女と女の関係性は最高である。最the高。

 月蝕の仮面が発売された頃から零シリーズが好きなので、そろそろ10年近くの付き合いになる。10年近く妄想し続けているパロがあるのだが、書いても読んでもらえなさそうなのであんまり書いていない。不来方夕莉など濡鴉メンバーを中心にした話はちょっとだけpixivに書いているが、月蝕メンバーはこの時点で一悶着どころが十悶着くらいしてこの状態なので(それが10年近く続けている妄想で、textに書き連ねた設定だけでも3万字以上ある)、たぶん私の妄想が完全な形で世に出る事はないだろう。でも良いのだ。とにかく零シリーズの知名度が上がったら良いなと思う。

 pixivに書いてるやつもリンクを貼っておこうと思う。

 

www.pixiv.net

 

 それではまた。