善意の集積と選択の集積、それによって形作られる私の日常の一瞬間
BOOTHというサービスがある。
作り手と買い手の為のサービスであるが、そこにBOOSTという嬉しい機能がある。私の某かの成果物を買い手が購入する際に、その代金以上の金額を好きに上乗せして購入できる機能だ(勿論正規の値段通りにも購入してもらえる)。お布施というものだろう。
そのBOOSTをしてくれる人が想像以上にいたりする。そこで私は少し高い喫茶店に行った。喫茶店の値段とは単によいコーヒーを出すだけではなくて、店内の雰囲気も含めて全部だと思っているので、そういう意味でのよい喫茶店だ。
私はコーヒーに砂糖もミルクもなかなかたくさん入れる。だから、一緒に連れて行ったその人に、「それはコーヒーなの?」と言われる。よく言われる。つまり、私の砂糖やらミルクやら『不純物』がたくさん入ったコーヒーは最早コーヒーではない、という話だ。
でも待って欲しい。
では翻ってあなたは色んな洋服を取り揃えて小物から靴まで色々と飾っているけれど、それを全て取っ払った生身のあなたを『本当のあなた』だと言うのか。むしろ、あなたがその服を、その鞄を、その髪色を、その靴を、そのスマートフォンを、選択に選択を重ねてそこに在る事があなたを証明するのではないのか。選択こそが個性を形作るのではないか。あなたが人間ではなくあなたであるのは、あなたの選択の集積がそう働いてくれているからではないのか。同じように、これがただのコーヒーではなく私のコーヒーである為には、私の好きな店、私の好きな分だけの砂糖やミルク、飲むタイミング、時間帯、店の雰囲気、そして隣にいるあなた、それらの私の選択によって『私のコーヒー』たりえていると言えるのではないだろうか。
……なんて話をすればきっと嫌がられるので、適当に笑って好きなものくらい好きに飲ませてとだけ言う。
そんなこんなで、人の善意の集積が一杯のコーヒーになって、私の生活の一瞬間になった。BOOSTがなかったらその日の私は別の事をしていただろうから、確かに私の日常にそれは溶け込んだのだろう。
ありがとう、という事を言いたかった。
それだけの記事です。
あ、私のBOOTHはここです。ここぞとばかりに言っておかないとね。