「私」と「わたし」と「ワタシ」と「あたし」と「アタシ」


 表記揺れの話。あるいは漢字の開き具合についての話。
 私の思うままにつらつら書いている文章なので、特に人に押し付けるものでもないし、論理立った話でもないのでその辺は了解して読んでね。日記にこんな前書きがどうして必要なのだろうと思うけど、リスク回避の為に書いておくのであった。犬も歩けば狂人に当たって惨殺される。

 

 ついさっきTwitterでアンケートを取っていた。二次創作における一人称の漢字の開き揺れは気になるか?(例、公式で一人称が「オレ」「あたし」などのキャラが二次創作において「俺」「私」で統一されている)というものである。あくまで漢字の開き具合の話なので、我と書いてオレと読むとか姫と書いてわたしと読むような特殊な一人称は省くとする。
 やっぱりみんなそこそこ気になるようだ。
 私はと言えば、あんまり気にならない。そこを重要な情報と捉えていないので、読む時にあんまり目に付いてこないというのが正しい。
 更に小説とかTwitter連載なんかでモノを書く私はと言えば、気にしない。容赦なく漢字にする。
 これ、たぶん、書く側の人間としてあんまり良くないやつである。じゃあなんで良くないと思ってるのにやってるかと言うと、漢字の開き具合なんて覚えてる暇あったらキャラの台詞ひとつ覚えた方が良い話書けるんじゃね?と思っているからである。あと、書く時のコストが半端ないからである。

 

 キャラをひとり書く時の話をしよう。大体そのキャラの公式の台詞やストーリーの概要を頭に入れて、こういう状況ではこう言う、こう言われたらこう返す、というリストがキャラごとに作られている。このリストは話を書く時の主要人物であればある程膨大になり、更に連載とかしていると公式以外にも自分が作り上げてきた順路があって、それを辿ったから今はこういう思考になっている、という思考の時系列図まで存在している。それを書き出した事はないからどれくらいになるのか判らないけど、主要人物になると割と膨大な情報だなと思っている。主要人物ほどの膨大さではないにせよ、一言でも喋るキャラは全員それをするので、大変だ。好きでやっているのだけど。
 という訳で、そのリストの中に、漢字の開き具合など入れている余力がない。ややこしいし。ひらがなと漢字とカタカナとか「わ」なのか「あ」なのかややこしいし。女性の一人称だけでも「わたし」「私」「ワタシ」「あたし」「アタシ」……もう5パターンもできてしまった。調べるのもコストがかかる。勿論、ちょっと調べたら出てくる。でもその1分の間に書きたい文章が300字くらいは生まれているので、300字と「アタシ」、どっちが重要なの?と聞かれたら300字に決まっている。文章中に100回「アタシ」が出てきたら30000字の損失である。
 勿論、ここに来るカウンターも理解できる。「ひらがなで書いた時と漢字で書いた時のニュアンスは異なるし、ことパラ言語の比率が大きい日本語において漢字の開き具合はパラ言語の代わりとも言える働きが充分期待できるのではないか?」という反論だ。うーん、仰る通り。「私」と「アタシ」じゃかなり雰囲気違うもん。
 でも私やっちゃう。実際やった。昔、アイドルマスターシンデレラガールズの二次創作をしていた頃、城ヶ崎美嘉の一人称全部「私」で書いていた。
 優先順位の問題なのだと思う。私は一人称の漢字が開かれている/開かれていない事によるキャラ構築でのズレよりも、台詞単位でのキャラ構築に重きを置いていて、そこに全力を注ぐ為に他に回している余力がなかった、という事だ。一人称が綺麗に公式通りでも、「いやどういう思考回路とこれまでの軌跡でその台詞が出たかこちらには判らないのだけど?」という台詞を1つでも多く入れてしまってはいけないと思うのだ。

 

 二次創作は所詮二次創作である。自分は公式ではないから、そのキャラの事を100%知る事は絶対にできない。公式が出してくれた通りに受け取ろうとしても、人間は本質的に「理解したいものを理解したいようにしか理解できない」という脳の構造なので、純真に受け取る事さえできない。どんなにピュアな二次創作を心掛けて命がけで書いたって、そこにあるのは自分の手垢にまみれた作品だけだ。だから、どんなに手を洗って消毒液で殺菌して綺麗にしたつもりで自分の目にはなんの汚れもない手のひらであっても、私の目に見えない雑菌は拭い去れないほどにあってどうしようもない事を自覚しながら、それでも毎日手を洗う事が大事なのだと思っている。
 公式通りの作品は作れない。でも公式をないがしろにして良い訳がなく、自分との距離感を上手く持ち、自分の機嫌も取ってやりながら、せめてキャラでは真摯でいようと思っている。理想を言えば何もかも完璧にすべきなのだが、理想は理想故に実現しようがないので、自分にできる範囲で自分が嫌にならない程度に作っていくしかない。

 

 という訳で、私は一人称の漢字の開き具合についてあまり気にしない。私が正しい訳ではないし、そもそも正しさというものは相対的な基準なので、なんという話でもない。ただの日記だ。よしなし事。好きに受け取ってくれて構わないが、受け取ったものはそっとしまっておいて欲しい。
 もうすぐクリスマスだ。言っている間に冬コミになる。新刊は「残花の夢」の1冊しか出ないけど凄くまとまりの良いものができたので、良かったら読んでね。おしまい。

www.melonbooks.co.jp