原稿が終わらなくて泣いてる

 原稿が終わらない理由の半分くらいはルルハワ周回やり過ぎですけどね。やり過ぎだよ。とりあえず現在解放できるところまではやりました。復刻なのに二段構えとか。復刻イベもうやらねーとか言ってた癖に推しのイベントだとうきうきして終わらせちゃってるもんな、これだからオタクの言う事はあてにならねえんだ。
 夏コミの原稿さっさと終わらせて9月の原稿をやりたいんじゃが……。
 そんな絶賛修羅場中の私ですが、投書箱に新刊の感想を頂いたのでお返事しようかなって思います。というか、凄く長くなったというか概ね新刊についての後書きになりました。蛇足かもしれません。私が言うとひとつの答えになってしまうので、自由な解釈を狭めてしまう事は承知の上で、以下お読み頂ければ幸いです。

https://odaibako.net/detail/request/89e36f6f803b4cfd879eb22602cecfa4
https://odaibako.net/detail/request/0e92b06062f24ddb83dd873d6c752133
https://odaibako.net/detail/request/efaf5efecc0f4c649ffec4f596fe12f6
 美しいものはただ美しいというそれだけで、それを観測する人間にとっての大きな慰めとなるのだ、といったお話になったかと思います。別に観測者を思ってその美しいものは美しい訳ではないのですけれど、我々は移ろい易い世界の中で、移ろわずただそこにある美しいものの永遠を、つい願っては癒やされたりしてしまうのです。
 虞美人はどこか現象めいていて、口調に統一感がなかったり、敵として憎悪をぶつけてきたかと思えば、同じ顔でしっかり人間の文化を学んで手作りのお菓子を振る舞ってくれます。彼女の軸はどこにあるのか、考えた結果、私の中では「そもそもそんな軸というものはないのではないか」と思い至りました。確固たる軸がなければ、その時々において柔軟に対応し、傷付き過ぎる事も浮かれ過ぎる事もないでしょう。現象でしかないのです。晴れ間を見せたかと思えば激しい雷雨を降らせる空と同じようなものなのでしょう。
 そうしてそんな彼女にしたのは、きっと項羽なのではないか、と思いました。項羽は心の底から彼女を思って、彼女の未来の為にそうしたのでしょうけれど、確かに彼女から某かの喪い難いものを喪わせたのです。彼は聡明なので、勿論それを知っています。最初から知っていて、でも彼女の未来の為に、「汝を如何せん」と嘆きながら、それをしたのでしょう。それは呪いだけど、確かに愛なのです。ただ彼女に健やかに生きていて欲しいという祈りから始まっているのです。
 祈る事それ自体は何も悪い事じゃない。でもそこから生まれる罪はあるし、その罪はどうしたって濯がれない。何もかもを重苦しく抱えて、それでも傲慢に笑って生きるしか我々にはできないのだ、という話でした。
 美しい虞美人は、これからもそのまんまに美しくて、美しいままに藤丸立香の最期を看取るのでしょう。それはきっと、藤丸立香の墓標に添えられるべき、得難くも輝かしい美しさなのだと思います。


 他にもいくつか投書を頂いています。読ませて頂いています。ありがとうございます。
 それじゃあ、頑張って原稿を書きます。