小話

 高長恭が自死してすぐに家にふらりとそれは美しい女性がやってきて、「惜しい男を亡くした。愁傷であったな」と呟いた。これが夫の言っていた虞美人その人かと一目で判った。人でない事もすぐに判った。そうして本当に夫がこの世にいない事もすぐに判った。

「これはあの男が生前肌身離さず着けていたもの。おまえの形見となろう。それを持参したまでだ」
 そう言ってその美しいものは夫の仮面を差し出した。その表情からはどんな感情も窺えなかった。
 それでも、わざわざこれを届ける為だけに、このひとはここまでやってきたのだ。
「いいえ、是非。是非とも貴女様がお持ちになってください」
 言葉は自然と出た。そう頼まれていた訳でもないのに、しかし夫の確かな願いであるようにも思われた。
「貴女様がまことの虞美人様その人であらせられるなら、貴女様は悠久の時を生きる御身でありましょう。私では、長生きしたところで精々数十年しかこの形見を保存できますまい。高長恭という人間がいた証をこの世に遺せるのであれば、貴女様のお側でこそ」
「ふん。私が打ち捨てればどうする。証とやらは消え失せるぞ」
「そのような事をなさるのなら、もう既にしておられましょう。貴女様はご足労頂いて私に託そうとしてくださった、それが何よりの事実にございます」
「……。であれば、譲り受けよう」
「ありがとうございます」
 そのひとはすっと私を見る。
 冷たい瞳だった。何も映していないような。
 それでいて、どこか、寂しい瞳だった。
「おまえだけは知っておけ。高長恭は誇り高い男であった。その生に一縷の瑕疵もない」
 人ならぬ身の、その存在に言われたからこそ。
 救われたような気に、なってしまった。そんな気になってはいけないのに。あのひとは死んだのに。けれど、ああ、どうか貴方、知っていて。貴方の生を、ひとつも否定なさらない方がいたのだ、確かに。
「まこと高潔な武人であった。ゆめ忘れるな、おまえはそのような男の妻であったのだ。誇りを抱き、命を想え」
「それは……ありがたき、至上のお言葉にございます……」

 

 そうしてその美しいものは去っていった。
 女の生において再び見る事は能わず、その後の行方も、杳として知れない。